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produce101出身、JBJ 高田健太くんの韓国記事を翻訳しています

 高田健太「最終順位24位、残念だけど感謝する 」 (インタビュー ②)

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練習生としてプログラムに参加した彼らに実質的に多くの助けをくれた人々が即ちトレーナーチームである。国民プロデューサー代表である歌手BoAを中心とし、ダンストレーナーカヒ、クォンジェスン、ボーカルトレーナーイソクフン、シンユミ、ラッパートンミルス、チーターの教えは高田健太にとってどのような意味を持つものだっただろうか。

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Q.トレーナー先生たちの中で、一番よく助けをくれた方は誰ですか?

 

シンユミ先生です。‘ネコハジャ’の舞台で僕が初めてラップをすることになりました。その時大変だったんですが、ユミ先生がまず僕のところに来て下さり「今は大変だろうけど、それでも上手くいくはずだから」とおっしゃってくれました。おかげで‘プロデュース101’シーズン2(以下‘プデュ2’)の中で終始その言葉を考えながら撮影しました。その言葉が頭の中にずっと残っていました。

 

Q.ポジション評価で本人の主な特技であるダンスではなくボーカルを選択しました。

 

はい。実際、僕のポジションはダンスです。だからダンスポジションに行きたかったんですが、僕がやりかった曲‘Get Ugly’はもう締め切られていました。だからメンタル崩壊した状態で‘春の日’を選択することになりました。選択し終わっても「僕はなぜ歌を選択したんだ?」という考えにまたメンタル崩壊しました。

 

Q.コンセプト評価曲‘ヨロジョ’を共にした友達はどんな友達でしたか?

 

ダニエルは‘ヨロジョ’をしながらさらにすごく仲良くなったと思います。ダニエルがその時リーダーだったんですが、よく面倒を見てくれてありがたかったです。ドンホは実は最初、同い年だとは思わなかったです。だから「怖い人なんじゃないか?」と思ったんですが違いました。‘ヨロジョ’チームで一番友達をよく世話してくれたと思います

 

Q.撮影して一番大変だった瞬間はいつでしたか?

 

大変だったというよりむしろ幸せでした。僕が韓国で練習生生活をしていた1年間、友達がいなかったんです。それが‘プデュ2’のおかげで友達がたくさんできて幸せでした。‘プデュ2’ファイナルコンサートが終わってから心情的に一番辛かったように思います。「今はもう一緒にすることができないんだな」とよく思いました。そしてこれからもう会えないこともあるかもしれないじゃないですか。

 

プログラム終了を控えて20位以内に進出した練習生は最後の生放送舞台に上がることができた。そして彼らにはプロジェクトグループWannaOneに入ることができる可能性も与えられた。しかしケンタは残念ながら24位となり、最後の生放送舞台には上がることができなかった。

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Q.最終順位が24位でした。残念ではなかったですか?

 

すごく残念でした。番組に出演する前に事務所では35位までは頑張って行ってみようと約束しました。だから僕が35位以内に入ることになったんでしょう。(目標を成し遂げたから)急に最後の舞台まで行きたいという欲が生まれました。だからさらに残念でした。ですが、僕が外国人なのに24位という席まで来させてくれたことだけでもとても感謝しています。

 

Q.今後どのような歌手になりたいですか?

 

僕は世界的なアーティストになりたいです。世界で活動することができる、世界にいる人々に僕の歌、ダンスをお見せしたいです。ひとまず韓国ではいつも熱心にする歌手になりたいです。僕がここまで来ることができたのは、国民プロデューサーの皆さん、事務所の方々、友達、家族がたくさん手伝ってくれたからです。それにとても感謝しているので、ずっと熱心に頑張る歌手になりたいです。

 

* 番外質問

Q.‘プデュ2’プロフィールに趣味が‘カフェ探し’と書かれていますよね?

 

SNSでカフェを探してみて、良いカフェがあれば行って写真を撮るのが好きです。元々僕がコーヒーが好きでカフェを探し回るのが好きです。この前の週末にも行って来ました。(人々が探したりしませんか?)何人かの方々が調べてくれました。そのように調べられることも不思議です。

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